あるびん・いむのピリ日記

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天津麺

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どうってことない、普通の中華ですが…時々猛烈に食べたく なるんです。



父は下町の小さな製本工場を経営しながら、私たち兄弟三人を、
何一つ不自由させないようにしながら、大学も出してくれました。
おかげさまで高校時代まではアルバイト一つしたことも無く・・・

大学に入って初めて、お金の必要性を感じて両親に無心したところ、
「じゃあ、お父さんの工場で働いてみなさい。時給で700円出すから」
と言われ、一も二も無く飛び付きました。30年前の700円は、今の
1,000円以上の価値があったと思います。1日5千円以上になる!しめしめ・・・
夏休み10日も働けば5万円だ。サークルの仲間と思いっきり海に山に行けるぞ!と。

しかし・・・そんな甘い目論見は、バイト初日であっけなく崩れてしまいました。
とにかく、労働が半端ではなくきつかったのです。製本前に裁断された、
その紙束の重いこと!それをさらに裁断機に掛けて製本作業に入るんですが・・・
その50キロ近くあろうかという紙束一つ運べずに、工場の熟練工の方々
からは冷たい目で見られ、全く戦力にならず、あまつさえ紙の山を崩してしまい、
工期にまで迷惑をかける・・・という体たらくでした。なんということでしょう!
あまりのことに、私は何も手に付かずにただ、茫然と立ち尽くすばかりでした。

やがてお昼時になり・・・、何も食べる気にもなれなかった私は、それでも
のろのろと午後に備えてパンと牛乳でも買いに行こうか・・・と席を立った時です。

父が・・・おそらく生まれて初めて!「どうだ・・・飯でも食いに行くか」
と誘ってくれたのです。そうして連れて行かれたのは、工場の近くの、
どうということは無いどこにでもあるような街の中華食堂でした。

父はその店によく行くのか、挨拶をしに来た店主に軽く会釈すると目を細めながら、
「ここはな・・・天津麵が旨いんだ。どうだ、食ってみるか?」と聞きました。
「えっ、テンシン麵?!」もちろんそれが何かは知っていましたが、ラーメンや
チャーシューメン、五目そばくらいまでは食べても、あの黄色い卵のそれは
数えるくらいしか食べたことがなかったのです。
「どうだ・・・食べてみるか。」「・・・うん。」私が黙ってうなずくと、
父は店主に「天津麵ふたつ!一つは大盛りで」と注文してくれました。

やがて運ばれてきた天津麵は・・・画像のような、どこからどう見ても
ふわふわカニ玉の、あの何の変哲もない、少し甘い餡の掛った天津麵でした。
だけど・・・その天津麵の、熱くて、甘くて、ほんの少しカニの味がして
美味しかったこと!思わず私は夢中ですすり込んでいました。

「どうだ、旨いか?」「・・・うん。」「仕事なあ。まあ、無理しないで頑張れよ」
「うん。」「じゃ、俺は先出るぞ。勘定は済ませておくからな」「・・・うん。」
熱かったのは麺だけではなく・・・胸も、目頭も・・・でした。が、
なぜか泣くのは父に・・・父の気持に申し訳ない気がしてまるで夢中で
ずるずると麺を激しくすすり込み、帽子を目深にかぶって工場に戻りました。

・・・永遠とも思える、気の遠くなるような午後の作業が終わって、工場の職人さんは
足早に家に帰って行きました。帽子を取ってぐったりと裁断機の前にへたり込んでいた
私の前に、父が近付いてきました。「ほれ・・・」「・・・?」「今日のバイト代だ」
「えっ・・・でも」「いいから貰え。お前は今日一日、労働者として立派に働いたんだ。
これは、お前の正当な稼ぎだ」そう言って父は私の手に日給を渡したのです。

何も言わず、父の手からお金をひったくるようにもぎ取ると、そのまま便所に
駆け込みました。
工場の隅の薄暗い汲み取り手洗いの中で、私は声を忍んで泣きました。
シャツを噛んで・・・止めどなく、涙がいく筋も幾筋も頬を伝って流れました・・・・・・

あれから・・・もう何年、たったでしょう。私に労働の・・・いえ、働いて
生きることの尊さを黙って教えてくれた父はもういません。
でもこうして、時々無性に天津麵が食べたくなるのです。それも普通の何の変哲もない・・・

当時の味はもうまるで覚えていません。
でも・・・いまでも天津麵を食べると、温かくってなんだか甘しょっぱい、
涙のような味が交じるのです。。。
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by cookie_imu | 2010-03-03 21:25 | 各国酒・ごはん