あるびん・いむのピリ日記

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哀悼と感動

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久しぶりなの投稿なのにのっけから恐縮であるが・・・昨夜はお通夜であった。
大学院の指導教授でもあり、仲人もしてくださった、
著名な能楽研究学者であられる恩師が急逝されたのだ。
そうはいっても御年83歳であられたから急逝、というものでもないが・・・

通夜の席に冬用の喪服スーツで駆けつけ(夏用などない)、
夕刻とはいえ残暑厳しい中、読経の声を聴いていたところ、
「では次に手向けの謡曲を人間国宝、観世流片山幽雪様に謡って頂きます」
というアナウンスがあって汗だくだくの中思わず居住まいを正した。
片山幽雪とはご存知の方はご存じであろうが、京都の、いや日本が誇る
能楽界の至宝、片山九郎右衛門氏の号名である。氏は現存する最後の名人、
とも呼ばれている(これから名人になられる可能性のある方はいるが)

そして手向けられた謡は能「江口」のキリだった。

『思へば假の宿に、心とむなと人をだに、諌めし我なり、これまでなりや歸るとて、即ち普賢菩薩と現れ舟は白象(びゃくぞう)となりつヽ、光と共に白妙の白雲にうち乗りて西の空に行き給ふありがたくぞ覺ゆる、ありがたくこそは覚ゆれ』
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昔西行法師が江口の遊女に宿を断られた旧跡に来合わせた僧侶が、夢の中でその遊女の幽霊に会い、最後に彼女は自らが普賢菩薩の化身であったことを明かし、白象に跨って西の空(西方浄土)に消えていく・・・という内容である。

仏教的なな内容であるが、謡曲自体はこの終末部分(キリという)がよく、
能楽関係者で亡くなった方の法要で手向けに謡われることでも有名である。
どうか、御仏に導かれて安らかに極楽往生なさって下さい・・・という趣旨なのであろう。

前説明が長くなったが、やや下世話な話で恐縮だが厳粛な通夜の式ではありながら、
私の関心は幽雪師が一体どのような謡を謡われるのだろうか・・・ということにあった。
亡くなった師匠とは親交がおありだったから、さぞや深い慨嘆の意を情感を込めて
切々と謡われるのではないか・・・と期待したのである。

しかし、その期待はあっさりと裏切られた、いや・・・いい意味で、である。
幽雪師は、実に淡々と、あっさりと謡われた。しかも失礼を顧みずに言えば
「だみ声」ともいうべき難渋なご発声で。私は最初、ややいぶかしげにそれを
聞きながら、次第にその謡の秘める途方もない包摂感、正しく「無感情の中に
全ての感動がある」という能の本質を秘めていることに気付いたのである・・・
エラそうな言い方で恐縮だが、これは私が若いころ憧れ、涙して聞いていた
観世雅雪師やそのご子息で夭折された名人、寿夫師の系譜に紛れもなかった
からである。久々に謡曲を聞いて、心の底から感動する・・・という体験となった。

師匠の急逝は悲しかったが、ある意味(私はクリスチャンだが)安らかに
成仏されたのではないか・・・という安心感は、私の心に平安を齎した。
つくづく・・・真の名人の持つ芸術性、というものは人心をも救済する素晴らしい
ものなのである・・・と再認識した次第である。

先生、お疲れ様でした、どうか安らかにお眠り下さい。
不肖の弟子ですが、これからも私も自分の道で精一杯、生きて参りますから・・
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by cookie_imu | 2010-09-12 14:37 | 言いたいことなど