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あるびん・いむのピリ日記

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『埋もれ木』

初日に見てまいりました、日本の誇る芸術派監督、小栗康平氏が『眠る男』以来、実に九年ぶりに製作した第五作です。主演は7,000のオークションから選ばれた14歳の新人、夏蓮(かれん)。
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このブログでも以前ご紹介した、在日シンポジウムで小栗監督の『伽耶子のために』の上映があって、小栗監督の講演があったときから「次はファンタジーを作ります。もうほとんど出来上がっていますが」と言われていたこの作品の公開を楽しみにしていた。そこで、万難を排して?初日にシネマライズへと駆けつけたわけである。ただし、午前中に韓国語のレッスンがあり、舞台あいさつは見られなかったが、小栗監督は律儀に映画館の入口までご挨拶に見えたので、運よく監督にパンフレットにサインしていただくことが出来た。
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というと、さすがに『眠る男』よりはセリフは増えているし、相変わらずの長回しロングショットとはいえ、シーンもきびきびと動いている。だが、出演者ほとんど全てのセリフは独特の節回し―というか棒読みに近く、冒頭からこのことに違和感を抱いてしまうと、すんなり小栗ワールドには入り込めなくなる。芸術映画だから・・・と割り切ってみればいいのだろうが、今日日、一般の観客にこういった芸術性が通用するのか・・・とふと思ってみたりもする。
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筋書きは・・・といって、無いも同然のシンプルなものである。三人の少女が、たわいも無い物語を紡ぎ合わせていく。最初は、町のペットショップがらくだを買い込んだことにして、駱駝の歩くところが無いからアスファルトをはがしてしまう・・・という空想から始まる。やがて、空想の世界と現実がない交ぜになり始める。そして、少女たちが住むのは、自然の美しい、しかし発展を止めてしまったような山間の町。たった一軒のマーケットは今にもつぶれる寸前で持ちこたえている。そこに働き、住む個性的な人たちを、状況劇場の大久保鷹(この人が演じた唐版「風の又三郎」を、僕はリアルタイムで見ている!)、ジャズの坂田明、左時枝といった手だれたちが、個性豊かに演じている。やがて、大雨後の崖崩れから、この町には古代の埋没林が埋まっていたことが発見され、やがてそれは掘り出されて祭りの日を迎えるのだが・・・

とにかく、映像の美しさには圧倒される。ワンシーン、ワンカットがひとつの美術作品ではないかと思われるほどだ。だが、そのこだわりが相変わらずの説明の少なさ、寡黙さをも生み出し、映画を哲学的なものにし、難解にもしている。画面が静止し、いくつかのメタファーを映し出している時、それが一体何を示唆しているのか・・・を考えることが伏線などにつながっていくのだが、とりあえずそれは前後の脈絡無く、メタ言語的に映画を錯綜の森へと導いていくのだ。その曖昧さ、不確実性が映画自体、いや監督の個性でもあり魅力なのだけれど、逆に本当にこの時代「かったるくって見てられるか!」というネガティブな反応も生みかねないのも事実である。例えば、携帯、コンビニと言った現代風俗は出てくるのに、それがなにも生活と有機的にかかわっていない・・・などの事実だ。子供たちの一群は、地蔵祭りの日に山に入って遭難しかけたりすらする。大きな子もいて携帯一つも持たされていないとはいかにも不自然・・・などなど。

しかし・・・物語はそういったいわば生活レベルでの必然性を超えて進行する。月夜に照らされて自室のベットで横たわりながら携帯で友人と物語の次のシーンについてやり取りする、夏蓮の白い太腿の、息を呑むほど美しいこと!それは禁断の・・・と呼べるほどの純粋な蠱惑性に満ちている。その場の闇に妖しく光る携帯のライト・・・これが又見事なほど効いているのだ。
そのようなシーンを上げだしたらきりがない。冒頭に上げた画像の、ことに赤い馬が風船精霊として飛翔していくラストの美しさといったら・・・陶然とするほどである。

しかし、観客は絵画的メタファーだけを見に来ているのではないだろう、ここは映画館で美術館ではないのだから・・・そういった意味でのストーリーにおける前後の有機的連関性は弱い。その弱さはもちろん長所でもあるのだが、時々付いていけなくなる(このことはパンフの冒頭でも監督が気にしている)それでも誤解を恐れずに、見て欲しい―と小栗監督は訴えかける。確かにその価値はあると思うし、浅野忠信が参加して、画面に現実味を持たせていることの意味も限りなく大きい。彼がもしいなかったら・・・と思うとぞっとするほどである。もう一度は見に行こうと思っているが、これから全国展開していったとき、人々はどのような感慨をこの映画に抱くであろうか。それも知りたいところである。
by cookie_imu | 2005-06-26 23:39 | その他邦画・洋画