あるびん・いむのピリ日記

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『ジョゼと虎と魚たち』の韓国人気に思う

韓国で日本のミニシアター大ヒット作(という表現もなんだか変だが)『ジョゼと虎と魚たち』が再上映された。のみならず、日本からは監督の犬童一心、主演女優の池脇千鶴も招待され、上演のあった光化門近くの映画館では、立錐の余地もないほどの熱心なファンで埋め尽くされたという。
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私も大好きな映画で、公演中は渋谷シネ・クイントに3回、見に行った。この切なくて暖かい映画の想い出を、永遠にスクリーン上での記憶だけに留めたくて、わざとDVDも買ってないくらいである(当初、犬童監督は公式HPで「DVD化はしない」と言っていたような・・・)。それくらい好きな映画であるから、韓国で評価されたことはとても嬉しいことなのだけれど、どちらかというとミニシアターでじわりと観客を集める、しかもある意味地味な低予算映画が、なぜこんなに韓国人の心を捉えたのだろうか?という疑問がわいてきた。韓国人映画関係者自身も同じ疑問を持ったらしく、朝鮮日報に次のような記事が載せられていた。



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「なぜ」これほどにまで韓国人の心を打ったのかはよく分からない。犬童監督は「冷静に、客観的に距離を置いて見つめた結果だ」と自作を評し、池脇千鶴は「愛が日常であることを教えてくれた映画」と結論付けている。確かにそれは正しいだろう。ここには愛別離苦の阿鼻叫喚も、ドラマティックな出会いと別れもない。全ては日常性の中に生まれ、うたかたのように消えていく。特殊なものはなにもない、そう、私達の身近にある恋愛のように。日々の営みの中で通り過ぎていく、出会いと別れのように・・・否、であるからこそ、その「塩鮭を焼く」ような日常性の中に、人生が孕んでいる真実相を私達は見出すのであろう。ほんの微かな心の痛みそのものが、実は「生きていく」ことの全てなのだと。そのことを、大袈裟な身振りも衒いもなく、静かに、しかし心の深奥にまで染み入るように教えてくれるのが、この『ジョゼと虎と魚たち』だと思うのである。だが―それはいかにも「日本人的な」纏綿たる情緒的感性であり、物事のメリハリを好む気質の韓国人に、これほど受け入れられるとは到底、思えなかったのだ。なぜなら、韓国には同工の、身体障害者との恋愛を扱った『オアシス』という名作が存在するからである。(下の画像は、その中で主人公の二人、ムン・ソリとソル・ギョングが夢見る幻想的な一シーン)
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ただし、題材やシチュエーションに多少、似通ったところがあるとはいっても、この二作のコンセプトは根本的に異なる。『オアシス』の方が、ありえないような状況の中での、障害者と犯罪歴のある社会性の希薄な男、という特殊な条件同士の極限の純愛を描いたものであるのに対し、『ジョゼ虎』の方は、「たまたま、愛した人に障害があった」ということが、社会の中でどのように扱われていくか―という問題を、極私的に描いたものなのである。ここには感情の起伏の豊かなラテン気質の韓国人と、一見平静でいるように見えて建前の仮面の下では熱い情念を蠢かせている日本人的気質の、大いなる違いを如実に見ることができるであろう。その二者は一見水と油のように相容れず、永遠の平行線をたどるかのように見える。しかし・・・、昨今の韓流ブーム、そしてこの『ジョゼ虎』ブームに見るような「日流」に対する、単なるトレンドではない、心の深いところに接近する動きを見る時―「なにかが本質的に動いた」という思いを抱かざるを得ない。その、「なにか」とは何なのか。私は、そのヒントはやはり、両国が営々として共有してきた朱子学にルーツを置く「儒教道徳観念」にあるような気がしてならないのである。そして、この二つの映画に共通するもの、それは社会から「疎外」されている存在そのものにこそ、純粋な愛や人間性は豊かに存在する―という主題に他ならないと思うのである。
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この作品の原作は、知る方も多いと思うが田辺聖子氏の同名の短編にある。基本的構造は映画と同じだが、ラストは全く変えられている。ネタバレになるので言及は避けるが、どちらもある意味「未来に希望を託す」終わり方をしている、と言っていいと思う。しかも、それは自立を目指す女性像を現代的に表現しながらも、相手の心を思いやるという、実につつましやかな人間愛に満ちたものなのである。田辺氏自身ががどのような倫理観念を持っているのかは、小説からは窺い知ることはできないが、その豊穣な愛の世界を秩序立てようとする観点は、彼女の数多くの仏教的・儒教的世界観に立脚する、日本の古典作品に題材をとった小説からも明らかであろう。そのようなところに―日本人と韓国人が、通底する感覚的基盤を見出すのであれば―、単なるブームだけではなく、両者の間に始まる相互理解は、無限の広がりを見せていくのではないか・・・と思うのである。

それにしても・・・「くるり」の歌うOSTを聞きながらこの文を書いていて、久しぶりにとても『ジョゼ虎』が見たくなってしまった。禁を破って、DVDを買ってしまおうかな・・・
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by cookie_imu | 2005-11-03 12:51 | 韓国エンタメNews小考