あるびん・いむのピリ日記

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韓国人(外国人)に日本語を教えるということ

最近、その難しさをとみに痛感している。
なかんずく本当の語学教育とは何か、という問題について・・・

まあ、日本語学院(ハグォン)ではなく大学で、学問としての
「日本語」として会話・作文などを教えている、ということもあるが…。
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例えば日本語では「さようなら」のことを時には
「失礼します」という。目上の人の前を去るときは
特によく使う。そして、今使っている超有名日本語教科書
韓国語版では、それをもろに「シッレハムニダ」と直訳
している。これは絶対違う。韓国人でこんな別れの挨拶を
する人はいない。



しかし、これだけではなく、このような例は枚挙に暇が
ないことも、容易に察しがつくであろう。

韓国に来た当初は、ほんとに簡単な日常会話くらいしか
出来なかった。それでいい、なるべく日本語で喋ってくれ…
というのである。そうすれば学生は必死になるから…と。

わたしもそれでいいと安易に考えていた。どうしても必要なら
(こちらも大して使えるわけじゃないが)英語を補助的に
使えばいい・・・と思っていた。ところが・・・こちらの
学生さんは、英語が喋れない。あんなに中高と勉強してるのに
簡単な受け答えが出来ないのだ。ならば漢字を・・・と思っても、
簡単な漢字すら書けない。あまつさえ、名前すら書けない者もいる。

こうなったら、もうどうあっても私が現地語(韓国語)を覚えて
それを日本語に直して教えるより他はない。
 「さあ、どうぞ上がってお楽になさってください。」
 「これ、つまらないものですが・・・」
 「何もありませんが、どうぞ召し上がれ」
直訳したら噴飯もの、だけれども日本語としては当たり前の、
これら基本表現の微妙なニュアンスを、どう教えろというのだ。

日本語を教えるには、
まずその現地の言葉に精通していなくてはならない。
いや、その前に日本語を熟知していなくてはならない。
日本語を熟知するとは、言語の生成はもとより、拠って立つ
文化的・歴史的背景も理解している、ということである。

当たり前のことだが、それが難しい。

※冒頭の文の「とみに」を「とくに」の打ち間違いだと
思ってる人もいるんじゃなかろうか・・・ふと、そんな
気がした。また、「なかんずく」の意味が分からないとか・・・
まさかとは思うが。。。
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by cookie_imu | 2006-10-01 22:34 | 韓国文化全般