人気ブログランキング | 話題のタグを見る

あるびん・いむのピリ日記

cookieimu.exblog.jp
ブログトップ

そして演奏会の日

とうとう・・・演奏会当日が来ました。
真ん中でピリ吹いているのが私で、
テグムが先生、チャングはお弟子さんのセミプロの方・・・
という、楽団の選りすぐりの方で構成された豪華メンバーでした。

そして・・・実際演奏してみて分かったこと。
プロのミュージシャンというものがいかに凄いかということ。
技量の違いがあるのは当然ですが、まずその集中力がすごい!
演奏に向かうとなるともう、「音楽」以外のものが耳に入らなくなる・・・
「ああもう緊張しちゃって俺ダメっす、へへ^^;」なんておちゃらけても、
一切取り合ってもらえず厳しい視線を向けられるだけ・・・
いったん舞台へ出たらそこは勝負の場。誰も助けてはくれない。
自分で自分をコントロールしない限り、何ともならない・・・
これは音楽に限らず舞台芸術なら何でも言えることでしょうが、
あらためてつくづく身に染みて感じました。ああ、演奏家への道は厳しい。。

とはいえ、これで一応デビュー公演は終わりましたので、正式に楽団の
客演主席ピリ奏者(って一人しかいないけど^^;;)となりました。
これからは月イチくらいで仕事もあるみたいです(少ないけどギャラも出ます)
近々またお知らせいたしますので、その折にはぜひ聞きに来てください(^^)

*ちなみに今回の曲目は以下の通りです。
正楽(韓国雅楽)から「慶豊年(キョンプンニョン)」(合奏)
牙筝(アジェン)独奏「風(パラム)」(先生の独奏)
民謡メドレー(恨五百年、アリラン、トラジ、舟歌)(合奏)
# by cookie_imu | 2010-09-19 21:38 | 韓国篳篥ピリ(觱篥)New!

哀悼と感動

哀悼と感動_c0018642_14354457.jpg

久しぶりなの投稿なのにのっけから恐縮であるが・・・昨夜はお通夜であった。
大学院の指導教授でもあり、仲人もしてくださった、
著名な能楽研究学者であられる恩師が急逝されたのだ。
そうはいっても御年83歳であられたから急逝、というものでもないが・・・

通夜の席に冬用の喪服スーツで駆けつけ(夏用などない)、
夕刻とはいえ残暑厳しい中、読経の声を聴いていたところ、
「では次に手向けの謡曲を人間国宝、観世流片山幽雪様に謡って頂きます」
というアナウンスがあって汗だくだくの中思わず居住まいを正した。
片山幽雪とはご存知の方はご存じであろうが、京都の、いや日本が誇る
能楽界の至宝、片山九郎右衛門氏の号名である。氏は現存する最後の名人、
とも呼ばれている(これから名人になられる可能性のある方はいるが)

そして手向けられた謡は能「江口」のキリだった。

『思へば假の宿に、心とむなと人をだに、諌めし我なり、これまでなりや歸るとて、即ち普賢菩薩と現れ舟は白象(びゃくぞう)となりつヽ、光と共に白妙の白雲にうち乗りて西の空に行き給ふありがたくぞ覺ゆる、ありがたくこそは覚ゆれ』
哀悼と感動_c0018642_14363497.jpg

昔西行法師が江口の遊女に宿を断られた旧跡に来合わせた僧侶が、夢の中でその遊女の幽霊に会い、最後に彼女は自らが普賢菩薩の化身であったことを明かし、白象に跨って西の空(西方浄土)に消えていく・・・という内容である。

仏教的なな内容であるが、謡曲自体はこの終末部分(キリという)がよく、
能楽関係者で亡くなった方の法要で手向けに謡われることでも有名である。
どうか、御仏に導かれて安らかに極楽往生なさって下さい・・・という趣旨なのであろう。

前説明が長くなったが、やや下世話な話で恐縮だが厳粛な通夜の式ではありながら、
私の関心は幽雪師が一体どのような謡を謡われるのだろうか・・・ということにあった。
亡くなった師匠とは親交がおありだったから、さぞや深い慨嘆の意を情感を込めて
切々と謡われるのではないか・・・と期待したのである。

しかし、その期待はあっさりと裏切られた、いや・・・いい意味で、である。
幽雪師は、実に淡々と、あっさりと謡われた。しかも失礼を顧みずに言えば
「だみ声」ともいうべき難渋なご発声で。私は最初、ややいぶかしげにそれを
聞きながら、次第にその謡の秘める途方もない包摂感、正しく「無感情の中に
全ての感動がある」という能の本質を秘めていることに気付いたのである・・・
エラそうな言い方で恐縮だが、これは私が若いころ憧れ、涙して聞いていた
観世雅雪師やそのご子息で夭折された名人、寿夫師の系譜に紛れもなかった
からである。久々に謡曲を聞いて、心の底から感動する・・・という体験となった。

師匠の急逝は悲しかったが、ある意味(私はクリスチャンだが)安らかに
成仏されたのではないか・・・という安心感は、私の心に平安を齎した。
つくづく・・・真の名人の持つ芸術性、というものは人心をも救済する素晴らしい
ものなのである・・・と再認識した次第である。

先生、お疲れ様でした、どうか安らかにお眠り下さい。
不肖の弟子ですが、これからも私も自分の道で精一杯、生きて参りますから・・
# by cookie_imu | 2010-09-12 14:37 | 言いたいことなど

人間の度量(器量)の違い

人間の度量(器量)の違い_c0018642_17491532.jpg

たかだかピリ(韓国篳篥)が上達しないっていう練習スランプくらいで、
「もう、やめちゃおうか」なんて何度目かのクヨクヨ。お見苦しくてすみません・・・

そんなときたまたま、今朝NHKでやっていたサッカーの
日本代表、本田選手の特集を見て・・・・・・
別に金髪○野郎!?だからという訳でなく、それまでなんか傲慢で
自信過剰な感じのする彼の記者会見とかに全く好感が持てなかったんですよ・・・

でもそれは、全てが「世界で勝つため」という至高の目標に向かって
彼が「自分を変える」ために敢えてやっているんだという事が分かって、
逆に感動しました。オランダチームのキャプテンだった時の気配りなんて、
まさに日本人の典型そのもの。だけどそれに甘んじないで、さらに自分を
追い込むために環境も厳しく、英語も通じない(コメも無いだろう)ロシアに行って
自分をさらに磨こうとしてきたとは・・・ホント感服しました。
恐れ入りました・・・って感じです。さすが、トップアスリートは違うなあ。

そんな人と自分を比べるなんておこがましいけれど、でも「なんとか続けてみようかな」
っていう勇気を貰えたような気がしました。継続はまことに力なり、です。
ほんの少しでもいいから、頂点に近づけるように頑張ってみようっと。
# by cookie_imu | 2010-05-23 17:50 | 韓国篳篥ピリ(觱篥)New!

もう何度目の倦怠期?

はああ・・・
韓国篳篥(ピリ)ですが。
やってもやっても、上手くならない。
ってか、ある技がちょっと出来るようになるとすぐ、
それを上回る技を教えられ、とにかくそれが一回でも
その場で出来るようにならないと許してもらえない。
そんな練習の延々たる繰り返し・・・。

ステップ、っていうか段階を追って上手くなるんだっていう
メソッドも見えてこないし。所詮趣味なんだから、気楽にやればいい、
って思われるかもしれないけど、能を習っていた昔からそういう中途半端が
一番イヤなんだ、こと芸能に関しては。名人上手にならなくって(なれなくって)
構わないから、一応最後までとことん、極めたいんだよな。終着点を知りたい。

もう、全て止めてしまうか、
仕事も何も抛り出してまた留学し、韓国国学院の楽生になるか・・・
その二つに一つを選びたくなってきた。でも家庭もあるから結論は明白。。。

韓国伝統舞踊もいいな。神秘的で。男舞もあるらしい
もう何度目の倦怠期?_c0018642_21583379.jpg

やりたくなってきた。
# by cookie_imu | 2010-05-22 21:59 | 韓国篳篥ピリ(觱篥)New!

合わせない

合わせない_c0018642_2210274.jpg

昨日楽団の練習が終わって一杯やっていた時、
楽団長のパククンジョン先生に聞いてみた。

「ピリのヨンフン先生は、難しい吹き方を教えて下さる時、
とにかくいっぺん出来るまで何度でも繰り返すんですよ。
『そこは今の今、急にはできないから家で録音聞いて何度も
練習しますから』って言っても許してくれない。とにかく
一通りできるまで、15分でも20分でもとにかくじっくりと
繰り返し繰り返し練習させるんです・・・どうしてなんでしょう?」と。

クンジョン先生はうーん、と唸ってから、「それはだな・・・
君の基準では教えていない、っていうことだと思うよ。例えば、
レストランに行ってカレーを頼んだとするね。大辛口と中辛があって、
君はでも、その中間の「やや大辛口」が食べたかったとする。でも
レストランではそれは作ってくれない。『ウチのカレーの辛さで
選んでください』って言うだろ?それと同じことだよ」

なんだか分かったような分からないようなお話だったが、何となくは
分かった。要するに教える側にはその人なりの基準があって、今は
この技の壁を乗り越えないと次に進めない・・・となったら習う側の
都合はともかく、とことん教えるのだ・・・ということなのだろう。

ただ・・・問題はその「行きつく先」が見えない、ということだ。
日本の芸事な場合、免状だ、秘伝だ、名取だ・・・といったグレードが
比較的はっきりしている。例えば私が稽古していた能楽では、
幾つもの段階を経て「名人」へと至る、という道筋が比較的はっきりと
していた(無論努力したって名人にはなれない人も多いが)しかし、
韓国の伝統芸能にはそれがない。口伝や秘伝、世阿弥の言う「位取り」
が無いのである。それはそれで家元制度などという、一種の搾取組織を
生み出さない・・・という良い面はあるが、何をどのくらいすれば、
その曲の価値に見合った「荘重かつ重厚な」演奏が出来るようになるのか・・・
が、全く見えてこないのである。あるのはただ、技術的な難易度だけ。
王様の前で吹く「雅楽」も、庶民の中で吹く「民謡」も基本は同じである。

・・・ただ、実は日本の雅楽も同じである。あまりにも秘伝化しすぎた結果、
絶滅の危機に至る直前、唐突に民間に開放されたので家元なども無く、
曲も技術的に難しいのか、長いのか短いのかの区別くらいしかない。
例えば「越殿楽」はよく知られた名曲だが、技術的にはそう簡単ではない。

日本と韓国の「雅楽」がそういう意味では同じようなポジションに置かれて
いる・・・というのはある意味、面白いことではある。偶然に過ぎないのだろうが。

家元制度なんて、百害あって一利くらいしかない・・・と思っていたが、
こと伝承という面ではそうでもない事が分かってきた。これは興味深いことである。
# by cookie_imu | 2010-05-08 22:11 | 韓国篳篥ピリ(觱篥)New!