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あるびん・いむのピリ日記

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『ルート181 パレスチナ~イスラエル 旅の断章』

公開されるやたちまち全世界のユダヤ人シオニスト(ユダヤ至上主義者)から囂々たる非難を浴び、フランスでは文化庁が上映を差し止めたといういわくつきの作品。つい先頃閉幕した、山形国際ドキュメンタリー映画際では、市長賞(最優秀賞)を獲得した。昨日、飯田橋の日仏学院で上演されたものを鑑賞した。パレスチナ出身のミシェル・クレイフィ監督と、イスラエル出身のエイアル・シヴァン監督のコラボレートによるまさしく、イスラエル―パレスチナ合作映画である。
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正直に告白するが、パレスチナ問題については新聞程度の知識(イスラエルのシャロン首相が強硬にパレスチナへ攻撃を続けているとかガザ地区から一方的に入植を引き上げたとか、アラファト没後、自爆テロが横行しているとか)は持ってはいたが、その地の現状については全く無知だった。分断国家としての韓国に関心を持つものとしては、興味がないわけではなかったが、実際には、遠いアジアの西の果て・・・という感覚でいたので、この映画が伝えてくれる、まさにそこに生きて、生活している庶民の声を、生々しく聞くことができただけでも収穫だった。映画の後にシンポジウムも開かれたが、それは別稿とすることにして、まずは純粋に映画としてのレビュウを書いてみたい。



さすがに、長時間座っていることから来る疲れや腰の痛みなどは感じたが、映画の内容は実に衝撃的なものだったので、圧倒されっぱなしであっという間の四時間半だったといえる。しかし実際、衝撃的とはいっても、センセーショナルなバイオレンスや性描写などはあるわけでもなく、かの地における現実が淡々と、ほとんど一切恣意的な編集の手も加えずに描き出されていくだけである。その、現実の持つ重みに圧倒されたのである。
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映画は、二人の監督が1947年に国連でなされた「決議181号」で決められた、イスラエル・パレスチナ分割線に沿って、イスラエル南部のガザ地区から、北部のシリアとの国境ラインまでを、まさにその地に住む「普通の」主婦や労働者、子供達、さらには兵士などにまでインタビューを重ねながら北上する・・・というスタイルをとっている。もちろん、ユダヤ人とパレスチナ人の二人が共同監督をしているのだから、そこにはどちらかに偏った取材などというものがありうるはずもなく、極めて平等にユダヤ人側の意見も、パレスチナ人の意見も取り入れられている。
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であるはずなのに、そこから聞こえてくるのは、もう圧倒的な「占領者としてのユダヤ人の弁明」である。なぜ、私たちはアラブ人を追放してまでこの地に住む権利があるのか。なぜ、パレスチナ国家は承認されてはならないのか。なぜ、殖民運動は継続されなくてはならないのか・・・など等。「人間として、アラブ人追放には心が痛む」などと殊勝なことを発言する人もいるが、では彼らに土地を与えて譲り合うかといえば、「ここは神に約束された私たちの土地である」という、旧約聖書に書かれた内容を持ち出してくる。一体、何千年前の話だというのだ。それほど遡らなくてはならないという宗教的観念が、まずごく普通の日本人である私には理解できない。実際、ガザ地区で建設業を営むイスラエル人の口からでた「良いアラブ人とは死んだアラブ人だ」などという“本音”には、はらわたが捩れるような痛みと吐き気すら覚えた。
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対するに、パレスチナ住民はイスラム原理主義でガチガチに対抗しているのかというと・・・実はそうでもない、という事実に結構驚かされた。彼らは単に、昔からそこに住んでいた「土地の人」だっただけなのである。しかも、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの追及の手が伸びた時には、ユダヤ人をかくまってやっていた・・・というおまけまで付いている。なのに、なんでこんな無茶苦茶な目に遭わなければいけないのか・・・という憤りと悲しみが、画面を衝いて湧き上がって来る。ユダヤ人入植地とパレスチナ人居住地を分ける巨大な「壁」の建設など、目を疑うばかりの現代社会の暴挙だ。「ジハードなんかじゃない。ユダヤ人は戦車でもミサイルでも何でも持っていて、これでもかっていうほどアラブ人を押しつぶそうとする。追い詰められて全て失ったときの屈辱感たらないわ。誰も命を粗末にしたいなんて思っちゃいない。だけど、生きる尊厳まで奪われたら・・・私だってベルト(に爆弾を)巻いて行くわよ!」これは、パレスチナ人の年配の主婦がインタビューに応じて吐き出した言葉だ。私はこのとき初めて、自爆テロを行わざるを得ない、人の悲しい心の底を覗き得た気がした。と、同時に、人間の自然な「普通に生きたい」という欲求が、大国のエゴによって踏みにじられ、そして「宗教紛争」という目眩まし的なレッテルを貼られて我々の目の前で誤魔化されているか・・・を理解できたような気がした。

ユダヤとアラブだけではない。世界中にはあらゆる民族がひしめいている。一方の東の端、日本と朝鮮半島のことも同じだ。土地は動かすことができないのだから、なんとか知恵を絞って「共生」していかなければならないことには、人類に未来はない。そんな「ごくあたりまえ」のことをつくづくと考えさせられる、貴重な四時間半であった。地味なドキュメンタリーの上に、上映時間の長さだけでも極めて難しいことだろうけれど、このように、本当に何も知らないような人の目をも開かせる、真に良質な映画をどこかの映画館(例えば岩波ホールとか)でロードショーを行ってくれることを切に望むものである。
by cookie_imu | 2005-10-16 13:35 | その他邦画・洋画