あるびん・いむのピリ日記

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『ルート181』シンポジウム

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さて、四時間半の映画が終わった後はまた十分の休憩をおいて、今度は両監督を囲んでのシンポジウムが始まった。それはパネルディッスカッション形式で行われ、パネラーとしては主催者のNPO団体「前夜」から司会を兼ねて1名、そしてジェンダー女性史研究家の清瀬氏、在日朝鮮人運動史研究家のチョン・ドンワン氏、という顔ぶれであった。私のような軽輩が何ほどを語れるものではないが、行われたシンポジウムはやはり、歴史的に貴重なものだと思うので、かいつまんで報告させていただこうと思う。



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まずは、「前夜」理事で、敬愛する作家のソ・キョンシク(徐京植)先生のご挨拶。簡潔ながら、遠来の監督達と、長時間映画を見ていた観客をねぎらう心優しいものであった。実は、ソ先生にお目にかかるのはこれが初めてなのである。ご存知の方も多いと思うが、パク・チョンヒ政権下で抵抗を貫いた民主化運動家の徐兄弟の末弟でいらっしゃる方である。以前から先生のご著書のファンで、今回も少し前に岩波新書から出ている「ディアスポラ紀行」を読んで感動していたところだったので、お目にかかれた感激はひとしおであった(ほんとうは、サインなど頂いちゃおうかな・・・と新書も持って行ったのだが、さすがにそのような雰囲気ではなかったので自粛した^^;)。先生のご挨拶に続いて中東・イスラーム研究者の板垣雄三氏からもご挨拶があったが、これも「前夜」別冊ブックレットに載せられていることなので割愛させていただく。続いてジェンダー女性史家の清瀬氏から、比較的長い監督への質問があったが、こちらもブックレットの内容とほぼ同様であるため、省略する。
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続いて、チョン・ドンワン氏の意見と質問。彼はさすがにラディカルな活動をしている人らしく、眼光鋭く「この映画に登場するユダヤ人は、どの人物も自分が被征服者である、ということを忘れたような顔をして、尊大にものを語っている。良いイスラエル人、などというものはありえない。自分は在日朝鮮人三世として、土地を追い出されるロッド市のパレスチナ人たちの境遇に、まさしく日本に住む在日として同じ痛みを覚えた」と語っていた。切れ長の目、武張った下あごの、いかにも一昔前の「在日朝鮮人闘士」といった風貌で、昨今の甘いオルチャン韓流俳優達とは一線を画すような顔立ちであった。発言内容も舌鋒鋭く、妥協のないものと感じた。
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二人の質問は、つまるところイスラエルのユダヤ人を、どうしたらアラブ人とともに同じ国で生きていくことができるようにさせられるのか・・・ということにまとめられると思う。それに対する監督達の答えは、バイステーツ(二重国家)として、どのように二つの民族が共生していけるかを模索することに尽きる・・・というものだった。かつて、ホロコーストという大惨事を経たはずのユダヤ人が、パレスチナ人に対して同じホロコーストを行った。その果てしない繰り返しの輪をどこかで断ち切らなくてはならない・・・というのが、両監督の共通した結論であったように思う。

しかし、覆水盆に返らず、の諺にもあるように、いったん起こってしまった戦争や虐殺、追放の事実を元に戻すことはできない。両者の間には深い傷と亀裂が残るばかりである。お互い、家が隣であっても挨拶もしないという。そんなことでは、まったく融和の進展の余地はないではないか。お互い憎しみあい、蔑みあっている中からは何も生まれない。今回の映画とシンポジウムは、シオニストとしてのユダヤ人の尊大さと植民地主義、そしてパレスチナ人たちの抑圧された姿と、両者の間にある亀裂を赤裸々に世界の人々に知らしめる役にはたったかもしれないが、これからどのように振る舞い、あるいは考えていくか・・・という将来的展望というか希求、という点に立って言えば、まだまだ糸口に過ぎないと思った。

逆に言うと、「前夜」の発刊趣旨にもあるように、プラグマティックな現状に対するアンチテーゼとしてのラディカルさ・・・というものはあって当然だが、ポストモダンも叫ばれて久しい昨今、マルクス主義に対する郷愁にも似たラディカルリズム一本槍的な言動では、なかなか公衆の支持は得にくいものなのではないか・・・とも感じた。日韓の昨今の韓流による融和的な流れには触れもしなかったが、「政治や思想ではなくて、ドラマや映画、音楽などのサブカルチャーによる、草の根的な交流が、民族同士の相互理解を促進している」という現実にももっと目を向けてほしいと思った。たとえば、パレスチナの「ヨン様」みたいな俳優が現れて、イスラエルのユダヤ人全ての女性が夢中になったら―お互いの言語や文化に興味を持ち合うようになるのではないか?・・・それには、長い時間と民主化の過程が必要になるとは思うのだが―声高なシュプレヒコールよりは、思想混迷の現代にはマッチしているのではなかろうか。まずは、共通の話題を持ち、お互いの家を訪問しあって、お茶でも飲んで談笑する・・・という、人付き合いの基本中の基本を、とにかく実践していくことが大切なのではないか・・・と、シンポジウムを聞きながら、改めて考えた次第である。
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by cookie_imu | 2005-10-16 18:35 | その他邦画・洋画