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あるびん・いむのピリ日記

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『またの日の知華』

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とりあえず、映像権をクリアできそうな物件がありませんでしたので、オブジェという処理でプログラムを掲出しました。不鮮明で恐縮ですが、単なる景物ということでご了解をば(^^;

この映画は、先にも少しご紹介しましたが、『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家」などのドキュメンタリー映画で知られる、原一男監督が、初めて劇映画に挑戦したものです。しかも、知華、と呼ばれる一人の女性の半生を、四人の女優が演じ分ける…という意欲的なもので、かなり期待して見に行きました。過日亡くなられた在日の舞台名女優、金久美子(キム・クミジャ)さん最後の作品、ということも、大いに鑑賞意欲をそそる一因でした。

結果は…期待は裏切られることなく、四人の女優の演技も素晴らしいものでしたが、ずいぶん暗い映画だったな…という印象を持ちました。もっとも、主人公の谷口知華が、体操選手としての挫折を機に、体育教師として夫も子供もありながら、夫の病気を境に若い体育教師との不倫に(またかよ^^;)溺れて行き、そして転落の人生を送る…というものですから、全体のトーンが明るくなりようもないのは当然と言えば当然でしょう。女優陣も、まだ若い吉本多香美をのぞけば、それなりに芸歴を重ねられた方々で、しかもどちらかというと人生の陰影を描き出すことに長けたような皆さんなので、ぐっと翳りの濃い憂鬱感がスクリーンを終始覆うのも無理はありません。そのなかでもやはり、キム・クミジャさんの、切なさの中に温かく包容力を感じさせる演技や、世紀末的な倦怠感の中で、どうしようもなく身も心も崩落してゆく女を演じた桃井かおりの演技力は圧巻と言うほかはありませんでした。特にラストの電話ボックスのシーン!ネタバレになるのでこれ以上は語れませんが、かのイ・チャンドン監督の傑作、『グリーン・フィッシュ』で、ハン・ソッキュが最後に公衆電話からかけた電話の感動に、勝るとも劣らないものであった…と私自身は思っています。

では、なにがその暗さに対して、ことにネガティブな部分を感じたかと言うと、忘れられてきた時代に対する屈託した思い、と言うようなものだと思います。その時代時代の社会的な出来事、例えば安田講堂の占拠事件とか、浅間山荘事件とか、三菱重工爆破事件とかがニュースとして挿入されるわけなんですけれど、「知華」という個人も、それにまつわる家族や男たちも、ほとんどそれと無関係な世界を生きている。所詮は戦後民主主義だ、革命的マルクス主義だゲバルトだ、とラディカルに生きてきたつもりだけれど、何一つ人間の生き様を変えられなかったじゃないか…という監督の苦渋の思いが、痛々しい諦念として伝わってくるんですね。こちらもほぼ同年代の、いまや飲んだくれおぢさんと化した中年ですから、同じ痛みを共有してしまうわけです。で、終わった後で、この憂愁を晴らすためにはマッコルリかソジュを呷るしかない…という仕儀に相成るわけです(実際にはスンドゥブチゲにメッチュだったわけですが(笑)

私もそういう戦後民主主義的世代としては、昨今の時代状況に閉塞感を抱いている者ということになるわけなんですが、それでも、やはり原監督の思いとは微妙に違う部分もあるわけです。しつこくジャブを小出しにしていれば、またいつか情勢の変わる時が来るかもしれないという期待感は持ち続けたいと思うし、事実、日韓関係などはそういったサブカルチャーが変えていった側面もあると思うし。ここまで深い諦念に塗り込められてしまう必要はないんじゃないか、ってね。でもまあ、私はゲバ棒振るったわけでも、バリスト(バリケードストライキの略、化石語)貫徹したわけでもないから、あんまり偉そうなことはいえないけれど(笑)。

ただ・・・、そういった個人的な思いを抜きにすれば、一人の女性の運命を、四人の女優の個性的演技通して、人生の真実相としてあぶりだそう、という監督の手法はまことに斬新かつ芯の通ったものになっていると思いますので、上映期間は残り僅かとは思いますが、ぜひご覧になることをお勧めいたします。
by cookie_imu | 2005-01-23 13:22 | その他邦画・洋画