あるびん・いむのピリ日記

cookieimu.exblog.jp
ブログトップ

『パッチギ!』

c0018642_18165510.jpg

初日初回を、有楽町シネカノンまで行ってみてきました、とりあえず一仕事して駆けつけて…
もう間に合わないかと思いましたが、意外なことに最後に滑り込むことが出来ました。これで井筒監督や塩谷瞬、沢尻エリカなどの舞台挨拶を見ることができると、気分はもう上々!これはその有楽町の会場近辺の画像です。この大型ポスターは、写真の沢尻さんのものと、塩谷君のものと二種類ありました。私は迷わず清純なチマ・チョゴリ制服姿の沢尻さんのものを買いました(^^)そのほか、プログラムや当時のフォーククルセダーズの復刻CDなど、グッズ盛りだくさんでした。「少年Mのイムジン河」もありましたよ(^^)
c0018642_18315122.jpg

また、ロビーの一角では、ディスプレイでメイキング映像が流されていて、いかに気合の入った撮影を井筒組が行っていたか・・・がよく分るようになっていて、とても興味深かったです。若い男優さんは監督にしごかれて大変だったとは思いますが、丁寧に演技指導する監督の姿勢からは、きっと学ぶものが多かったことでしょう。
c0018642_18541943.jpg

予告編もなく、すぐに本編が始まりましたが、もう、私のようなおぢさんには懐かしくも嬉しい、当時のカリスマGS、OX(オックス)の失神ステージシーン再現から!こういった徹底したこだわりが、舞台の60年代にすぐ私を連れ戻します。あのころの懐かしい情景が、宝石のように画面に散りばめてあります。炭火七輪、白黒テレビ、オート三輪…そのこだわりは、リアリティを徹底する監督の執念を感じさせるように、画面の隅々まで行き届いていました。その監督の気迫は、当時を知らない若い観客にも必ず伝わる、と思いました。



物語は、修学旅行で京都に来た長崎の高校生の不良連中が、朝鮮高級学校の女学生にちょっかいを出したために朝鮮高級学校の生徒と大喧嘩となり、遂にはバスを横倒しにされてしまう・・・という、痛快な!?場面から始まります。私は東京人で-京都の細かい事情は分らないのですが-野球で有名な結構硬派な男子高に通っておりまして、人並みにケンカもしました(ちょっとした小競り合いの後ろについてたくらいですけど^^;)けれど、朝鮮高級中高校は別格で、学校の番長や、応援団の部長も一目置いていて、決して手を出そうとはしませんでした。「チョンコウと(当時のままの再現です。こういう言葉遣いをお許しください)タイマン張れるのは、シカン坊(某国○館高校生のこと)だけだ」という“都市伝説”があり、その鋭く剃り込み(これもパッチギという)を入れた頭髪や、頬の上まであるハイカラーのガクランのシカン坊を見かけただけで、翌日の教室は興奮の渦だったことを鮮明に覚えています。

なんていうのでしょうか…私は絶対、暴力などは肯定しない人間なのですが、あの頃のケンカのことを考えると、今でもなんだか、うっとりとしたような甘やかな思い出と、ガクランの汗臭い匂いと共に、アドレナリンが湧いて来るような思いがするのです。実際、重傷者が出るようなケンカなどは滅多にありませんでした。なんていうのかな、子供のじゃれあいのようなものでしょうか。だからケンカ礼賛!などとは口が裂けても言いませんが、今の子供達はじゃれあい程度のケンカもしたことがないし、その上テレビゲームで簡単に相手を倒して殺すようなソフトでばかり遊んでいるので、いきなり相手をナイフで刺してしまったりする。リセットすれば生き返る、とでも思っているのでしょうか。その辺の感覚が全く分っていないのですね。「井筒映画は無軌道な青春礼賛映画で、暴力に満ち満ちている」という批評は間違いとはいえないでしょうが、あまりにも一面しか見ていないとも言えると思います。「ケンカはコミュニケーションだ。相手に決定的ダメージを与えるようなケンカは絶対、してはならない。そのことは、映画でも徹底している」と監督がいうように、実に緻密に、急所を外し、頭部は器物で殴らない、などの配慮?がなされているのを、ケンカをした事のある人間ならすぐに気がつくことができるでしょう。だから、単純に“暴力”としてでなく、一種のボディ・ランゲージとして真摯に見ることができるのです。そのことはまず、分っていただきたいと思います。

わたしがこの「ケンカ」の説明に筆を割いたのは理由があるのです。私は、このレビュウを書く前に、yahooやニフティなど、検索できる限り多くのレビュウを見てみました。案の定、その内容は映画そのものの出来具合を度外視する政治論争に満ち満ちていました。それについては後述しますが、非難するにしろ擁護するにしろ、そのほとんどの人がこの、ボディランゲージたる「ケンカ」の本質、その描かれ方に言及することなく終わっているのは残念に思います。暴力性や攻撃性の裏に隠された柔弱や怯惰、相手の懐を推し量ろうとする語りかけを、こういう部分から見抜いて欲しかったからです。井筒映画の優れている点は、そこにあると思っていますので・・・

そして、主人公の塩谷君演じる松山康介が、朝鮮高級学校にサッカーの親善試合を申し込みに行った際、「イムジン河」をブラスバンドで美しく奏でるフルート少女・リ(イ、ではない)キョンジャに一目惚れするところから、物語は「ロミオとジュリエット」「ウエスト・サイド物語」を下敷きにした…と監督が自ら認めるとおりの、青春ラブメロの王道を歩み始めます。ですから、そのストーリー展開は安心できる?予定調和に身を任せていけばいいわけで、さしたるサプライズがあるわけでもないのですが、ストーリー展開に神経を使わなくてすむ分、井筒監督は実に丁寧に、当時の在日の思いを映画の隅々にまで描きこんでいきます。これが実に圧巻。我々は、今日の北の国の実態を知っているわけで、いまさらそれをどうこうしようとは思っていないわけですよね。井筒監督はそれを十分承知の上で、当時の朝鮮人在日の方々が抱いていた思いや実感を、丁寧になぞっていく。批判も礼賛も交えないで…。そこのところを読み違えると、「総連礼賛映画」とか、「民団無視映画」などという誤った見方が、左右両陣営から出てきてしまうことになると思うのです。これはその程度のプロパガンダやアジ映画ではありません。もっと深い思慮に基づいて作られていることは、映画全体を俯瞰すれば一目瞭然です。朝鮮人全体の生活状況、一世の皆さんの住居・什器・衣服の様子…などなど、そしてまたそれに対する日本人の対応・・・映画のそれこそ、重箱の隅にまで目を配ってから、この映画の論評をしてほしい…と私は思いました。

最後は、やっと友達になれた朝鮮人の、尾上寛之演じるチェドキが、実につまらない事故であっけなく死んでしまう…という葬式のシーンからクライマックスを迎えます。そして、帰国政策によって北の帰国船に乗ろうとする高岡君演じるアンソン(ちょっとウォンビン風で、とてもカッコイイ!)に、恋人桃子に赤ちゃんができていることが知らされる。そして、最後のケンカ・・・ちょうどそのときに、二人の子供が生まれます。まさに、死と再生、そして和解と希望がこれほど強く語られる場面はありませんでした。さらに、葬式の場から追い返され、絶望感からギターを打ち捨ててしまった康介も、ついにラジオ局で、あらゆる困難を跳ね除けて「イムジンガン」をハングルで歌うことが・・・このシーンはもう、私はあふれ出る泪を抑えることはできませんでした。

終映後の舞台挨拶では、康介たちの担任役を務めた光石研氏も駆けつけて、盛り上がったものになりました。監督は、いつもの饒舌さは何処へやら、とても緊張した面持ちでした。「若い人と一緒にやるのは、本当に疲れる」と仰りながらも、そこには確実に、次代を担う若者に何かを伝えた…という満足感に溢れているようでした。また、俳優陣では、バンホーを演じた波岡君が、「一生懸命演じていたつもりが、ある日監督から『おーい、いい加減で学芸会はやめろや』と言われた時は本当にショックでした」と語った時は、わたしもその井筒監督の厳しい優しさに、感銘を受けました。井筒監督は、シメの言葉に難渋していたようでしたが、会場から「監督、良かったよ!」の声がかかるとホッとしたような表情になり、「ぜひチェーン・メールでもいいから、50人を誘ってください」と言って、会場の笑いを誘っていました。

まだまだ、語りたいことはたくさんありますが、百聞は一見にしかず、ぜひ韓国ブームの今、一人でも多くの皆様に、この映画を見ていただきたいと思います。最後に、主演女優の沢尻エリカさんに一言。舞台挨拶ではミニドレスに当世風の髪型と言う、なんとなく映画に合わない格好をしてきたので、艶やかなチマ・チョゴリ姿を期待していた私はちょっと残念でしたが、もともとグラビアアイドル出身だったのですね。それにしては…というのは失礼極まりない言い方かもしれませんが、そのマドンナとしての存在感は大したものでした。動じない、というか、物怖じしない風情はまさに菩薩のようで…これだから、女性…いや、女優はちょっと見であなどれないんだよなぁ(笑)

『パッチギ!』公式サイト 公開初日の舞台挨拶記事
[PR]
by cookie_imu | 2005-01-23 19:28 | その他邦画・洋画